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推しが生きてることがファンサだから

私は移り変わりはあれどいわゆる「現場」のある趣味を長らく続けています。
根が貧乏性だし甲斐性もないので「行ける範囲で」「無理はしない」というスタンスはずっと変わりません。
そんなんですからかつては熱心に追いかけているようなファンに対して、たかがファンの分際で特別な存在になりたがっているなどと、多少の僻み込みで苛立ちを覚えたこともありました。
ときは流れインターネット社会となり、様々な現場の様子を覗うにつれて、ファンは平等じゃない、想う気持ちだけじゃ相手の腹は膨れない、金出してナンボ、在宅ファンよりも現場こなしてるファンの方がエライ、グッズを買うファンはもっとエライ、有料イベントに参加するファンはもっともっとエライ、という考えに辿り着いたのです。
辿り着いたところで自分がそうなりたいか、そうなれるかは別の話。

平尾アウリ「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」という漫画を読みました。
主人公は岡山で活動する女性アイドルグループのメンバーを熱烈に応援する女性ファン。公演チケットの発売日には整理番号1番を求めてプレイガイドに張り付き、1枚5秒の握手券がもらえるCDを公演のたびに何枚も買い、数量限定特典の物販のために炎天下十何時間も並ぶ。
この漫画のすごいところは、とくに女性が主人公のオタク活動漫画にありがちな「仕事とオタク活動両立して恋もおしゃれも楽しんで私生活も充実してます!」ってのじゃなくて、ドルオタ活動に支障が出るからと定職に就かず、バイトで得た決した多くない収入のほとんどを注いでるってところ。私服は高校時代のジャージのみ、元々持っていた服も全部売って資金に変えたという徹底ぶり。
ドルオタ活動以外の生活が見えないというか、そもそもない。ないものは見えない。同じオタク活動モノでも「トクサツガガガ」が笑って読めるのはオタク活動が「生活の一部」だから。「生活のすべて」のこれは笑って読めない。仲村さんは窮屈な思いをしつつもコミュニティ外の世界と関わってる。えりぴよはコミュニティの世界にこもってのびのびとしている。「生活の一部」な仲村さんには共感できるけど、「生活のすべて」なえりぴよには共感できない、というか、次元が違いすぎて私の理解を超えている。えりぴよが親が金持ち設定なら嫉妬もできるけど、貧乏じゃあ嫉妬もできないよ!少女漫画絵にうっかり騙されるけどほとんどウジマくんだよ!
現実世界でも尊敬されているトップオタの正体なんてこんなもんなんだろうな、実はタワレコの社長でしたなんてのは一握りなんだろうな。ああなんでこんなにリアルなんだろう。リアルに想像できてゾッとする。もはやホラー。
ドルオタの描かれ方とは対照的にアイドルの楽屋話は紗がかかったようにふわっとしてるのがまた…。嫉妬も憎悪もない、尊敬と思いやりしかないアイドルグループなんておとぎ話だよ。そんな負の面を描かないのは作者がガチのアイドルファンだからこそなんだろうな。
そもそも女性アイドルと女性ファンが実は両想いという設定が最強におとぎ話なんだけど。

いやー。世の中色んな世界があるもんだ。
未分類 | CM(0) | TB(-) 2017.06.30(Fri) 00:17
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